アメリカの大学生

アメリカの大学には様々な国の人たちが通ってきています。

 

私が通っていた大学は、ミルウォーキーという都市にある大学でしたが、
大学のある場所は長閑な場所にあり、また、冬は極寒になる地方にありました。

 

そんな田舎の大学でしたが、世界中の色々な国からの留学生が在籍していました。

 

中国、台湾、シンガポール、タイ、インドネシア、ロシア、ブラジル、インド、ドイツ、スウェーデン…。
数えだせば、おそらく世界中の国々から留学してきているのではないかと思うほどです。

 

私は大学に入学した当初は大学の寮に入っていたので、
より、様々な国の人たちと交流する機会がありました。

 

そうした国々の人たちとの共通の言葉が「英語」なのです。

 

様々な国で生まれた言語の異なる人たちが英語を使うだけで、
互いの知らない世界に触れることができます。
そして、考えを知ることができます。

 

これは、私が田舎の大学に行ったから経験できたのではなく、
大都市の大学に通学したとしても経験可能なことです。
留学した人は、英語を全く分からない訳ではないのですから、可能な体験なのです。

 

こうした経験ができるのは、やはり、アメリカならではだと思います。
そんな自分の知らない世界が目の前に広がっているのに、
やはり、日本人はどうしても改めて英語の凄さを感じます。

 

しかしながら、おそらく、昔も今も日本人は日本人で集まるという状況は変わっていないと思います。
そして、私が留学していた当時からアメリカを離れるまで、
日本人は外国人と一対一で話すことを嫌がる人が多いように感じました。
アメリカ人を始め、他国の友人たちも、
日本人がアメリカに来てまで、日本人同士で過ごすことを理解できないと言っていました。

 

当然、英語が何を言っているのかわからないという引け目もあるのでしょう。
でも、一緒に学んでいた他国の生徒は、
文法、単語の意味が全く違う使い方をしていても臆することなく、自分の意見を言います。
日本人に不足していたのは、「自分の意見を伝える」ことだと思います。

 

アメリカでは小さい頃からディベートの授業を受けており、
自分の考えを理論立てて話す技術を持っています。

 

アメリカは、色々な多国籍の人々が集まる国なので、
「自分」というのを主張しなかったら、誰も振り向いても、気にかけてもくれません。

 

アメリカ人と付き合って思うことは、相手の意見に耳を傾ける姿勢が身に付いていることです。

 

留学した当初は、英語も覚束ない状況でしたので、
アメリカ人と「英語」で話を続けることで精いっぱいでしたが、
時間が経つにつれ、アメリカ人が私の意見を求めていることに気づきました。

 

それは、常に色々な国の人たちが周りにいるのが当たり前なので、
相手は自分の考えとは違うことがアメリカ人の考え方の前提にあります。
よって、相手の意見を聴く事がその相手の人間を知るアプローチのひとつだと考えているからです。

 

日本のように、「あ。うんの呼吸」、「微笑でわかりあう」なんてことはありえません。

 

日本の学校で学んでいるのではないのですから、
自分と同じ考え方の人がいるのかは、自分から何か踏み出さないと何も変わらないのです。